カミュ『異邦人』を徹底解説

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カミュ 異邦人 新潮文庫 窪田啓介訳 

フランス人作家、アルベール・カミュの代表作『異邦人』。
新潮文庫ロングセラー(2016年)の第5位にランクイン。人生で一度は読んでおきたい作品の一つとして、数々のサイトで紹介されている。

私も「名著 おすすめ」でググった結果、この作品に出会い、読み始めた。多くの人に親しまれてきた理由は、フランツ・カフカの『変身』と並び、2大分量少ない小説として知られているからではないだろうか。(『変身』、『異邦人』は数時間で読めるので是非読んでほしい。)

しかしながら、さすがは名著。初めて読んだ時は、何を言いたいのか全く理解できない。とりあえず「異邦人 解説」で調べ、サイトを漁ってみても、なんだかぱっとしない。それもそのはず、カミュの著作は、

「不条理」

を題材としているらしい。不条理とは「筋道が通らないこと」、「道理に合わないこと」、だから、なるほど、私のような常識人が不条理を扱う『異邦人』の意味が分からなくとも問題はない。そうだそうだ……。と言って読みっぱなしにしておくのは非常にもったいないことだと思う。カミュは1957年にノーベル文学賞を受賞したが、これは『異邦人』に依るところが大きいとか。(ウィキ情報)

この作品は不条理という一言で片付けられるようなものではないし、数々の解説サイトがあるが、的を射た考察を出来ているものも少ない。今回は解説書や自分の知識を合わせてた異邦人の考察を落としていきたい。完全に正しいとは思っていないので、鵜呑みにするのでなく参考にしてほしい。

ちなみに、この記事はこんな人におすすめ。

  • 『異邦人』呼んだけど意味分からんって人
  • まだ読んでないけど興味はあるって人
  • この作品になんかぐっときたからもっと深く知りたいって人
  • 頭おかしいひとが主人公の作品が好きな人

簡単なあらすじ

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。(新潮文庫から引用)

詳細なあらすじ

第一部

船荷証券を点検する仕事をしているムルソーは、母の死を伝える電報を受け取り、養老院へと向かう。葬儀を終えたムルソーは、次の日、海で前から「欲しい」と思っていた女、マリーと出会い、関係を結ぶ。

月曜日、ムルソーは隣人のレエモンに自分の情婦との関係を相談され、手紙を代筆する。その一週間後、レエモンが女を殴り、警察沙汰に発展する。ムルソーはレエモンのために嘘の証言をする。
翌週、レエモンに次の日曜日を友人と別荘で過ごさないかと誘われる。ムルソー、マリー、レエモンの3人で出発しようとしたとき、レエモンといさかいを起こしているアラブ人達と出会う。別荘に到着し昼食を済ませた後、友人のマソンとレエモン、ムルソーの3人は浜辺へ向かう途中、アラブ人達と再び出会い、レエモンはナイフで切られてしまう。レエモンからピストルを受け取ったムルソーはアラブ人に発砲し、さらに4発銃弾を浴びせる。

第二部


逮捕され何度も尋問を受けるムルソー。11ヶ月の予審の後、公判が始まった。ムルソーを抜きにして審理が進められ、検事のいいようにムルソーの行動が解釈された。ムルソーはアラブ人を殺した動機を「それは太陽のせいだ」と言ったが笑われるだけだった。判決では検事の求刑通り。斬首刑が言い渡される。

独房で教戒師と面会するが、「僕の内部で何かが裂けた」ように押さえていた感情を爆発させる。教戒師を追い立てたあと平静を取り戻したムルソーは「処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びを上げて、僕を迎え入れること」を望んだ。

解説

さて、ここから考察していくのだが、はじめから順に読み解いていくのではなく、あるテーマを元に考えていこう。

ここらへんから本格的なネタバレ+読んでいないと分からないところなので一読をおすすめする。

疑問:ムルソーは母親のことをどのように考えていたのか

2章の検事の解釈によると、ムルソーは、

母の死の翌日、この男は海水浴をし、だらしない恋愛関係をむすび、喜劇映画を見に行って笑った

p.59

人間性のかけらもないサイコパス野郎である。

だがよく文章を読んでみると、ムルソーの母への態度が見受けられる。例えば、

「ママにすぐに会いたかった」(p.7)

「僕は少し退屈して家の中をぶらぶらした。ママがここにいたときは手頃だった。いまでは広すぎるので、食堂のテーブルを僕の部屋に運びこまなければならなかった。僕はもうこの部屋でしか生活しない。少しくぼんだ藁椅子と、鏡の黄色になった衣装箪笥と、化粧机と、真鍮のベッドとの間に。そのほかは放っておいた」(p.17)

ここからムルソーは今でも母親の部屋を使っていることが分かる。そして今は母のベッドで寝ているらしい。そして、そのほかはどうでもよいとし、母の遺品以外には興味を示していない。 さらに、

「(サマラノは、)近所で僕が母親を養老院にいれたのが、評判良くないのは聞いているが、僕の人柄も、母を非常に愛しているのも知っていると言った」(p.32)

「多分僕はママが好きだったが、しかし、それは何の意味もないことだ。健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を願ったことがあるものだ。」(p.42)

「彼は、いきなり、母を愛していたか、とたずねた。「はい、世間の人と同じように」と僕は答えた。」(p.43)


大の大人にもなって母親を「ママ」と呼んだり、死んだ母親のベッドで寝ているムルソーと、世間の人が同じとされてはたまったものではないのだが、この後、
「書記は、それまで規則的にタイプをたたいていたのだが、キイを間違えたらしかった。」、と続き、読者のツッコミを見事に代弁している。

以上から分かるように、ムルソーは母親を愛していたのである。しかし読了後、なんとなく違和感を覚えただろう。母にすぐに会いたいと考えていながら、結局母の顔を見ることはなかったし、葬儀の翌日に情事を重ねた。この矛盾をどう捉えたらよいのか。

するとここである疑問が浮かんでくる。

ムルソーは母が死んだことを受け入れられたのか

例えば、窪田啓作訳の(あまりにも有名な)冒頭の句

「今日ママンが死んだ。もしかするときのうなのか、でもわからない。(略)これでは意味不明だ。……」(p.7)

あまりにも無感情に母の死が読者に伝えられるが、これはムルソーが感情のない人間だということではなく、母の死を理解しようとしていないと捉えることは出来ないか。そして、「分からない」、「意味不明だ」と続いていることから、理解することを拒否しているようにも見える。さらに、

「今のところは、まだママが死んでいないみたいなのだ」(p.1)

この表現から決定的になるだろう。そして、ムルソーは葬式が終わってもまだ母の死を受け入れていない。

「『蓋をしてしまいましたが、ネジをぬかなければなりませんね、お顔をご覧になれるように。』彼は棺に近寄ったが、僕は引き止めた。『ご覧にならないんですか』と言うので、『ええ』と答えた。彼はやめた。」(p.9)
「彼は電話を手にとって、僕にたずねた。『(略)最後にもう一度お母さんの顔をごらんになりますか』。僕は、いいえ、と答えた。」(p.13)
「あとはすべてがあまりに手早く、着実に、そして無造作に進行したので、僕はもう何も思い出せない」(p.15)

埋葬が済めば、今度はそれが片付いた事件になり、すべてはもっと公的な外観を呈するだろう。しかしムルソーは葬式で母の死を受け入れることが出来なかった。犬の死を受け入れたペレ老人とムルソーは対比的に描かれている。(後述)

マリーとは?

葬儀から帰った土曜日、ムルソーは泳ぎに行くことに決めた。そこで「当時から、……欲しいと思っていた」女、マリーに、水の中で、出会う。
マリーとは母(フランス語でmare。個人的にはキリストのマリアの方を思い浮かべた。)に通じ、水のなかで出会ったことは母なる海を示している。ムルソーが頭をマリーの「膝の上にのせ」るのは幼児的な仕草であり、ムルソーはマリーを失った母の代理とみているのである。

しかし個人的に全く理解不能な点は、

「彼女は僕に愛しているかときいた。それは何の意味も持たないが、多分愛していないだろうと僕は答えた、彼女は悲しそうな顔をした。」(p.26)
・「夜、マリーが訪ねてきて、僕に結婚する気があるのかときいた。それは僕にはどうでもいいことだ、彼女がしたければ、われわれは結婚できるだろうと言った。彼女は僕が彼女を愛しているかを知りたがった。僕はすでに一度した通りに答えた。(略)彼女は端的に別の女が同じように結びついて、同じ申し込みをしたら、承諾するかときいた。僕は『むろんさ』と答えた。」(p.30)

である。全くムルソーは意味不明な言動をしてくれる。前から欲しいと思っていた女を愛していないが結婚してもいい。別の女でもいいなんてとは……。この点をすっきりと説明出来る人がいたら是非教えて欲しい。カミュの作品をすっきりと説明なんて出来るのかは知らない。

ちなみに物語の終盤の独房で、

「ずいぶん久しい以前から、僕はそこにひとつの顔を求めていた。(略)マリーのであった。僕はそれをむなしく求めていた。今では、もう終わった。ともかく、僕はこの石の汗から何者も出現するのを見なかった」(p.75)

とあるように、マリーとは断絶することになる。そしてムルソーの長い独白が終わった後、「まったく久しぶりに僕はママのことを考えた」。代理の母の存在を離れ、死んだ母親に向き合ったのである。

登場人物と対比関係

異邦人では登場人物が母と子、夫と妻という関係性をもって描かれる。

  • サラマノ老人と犬(老人は女房が死んでからその犬を飼った。犬は無くなった女房の代わりをしていた)
  • レエモンとモール人の女
  • マソン夫妻
  • 小柄な青年と小柄な老婆:p.47、面会所の親子

サラマノと犬の関係は次のように書かれている。

「彼らは同族みたいな様子だが、互いに憎しみ合っている。(略)犬が人間をひっぱり、しまいにはサラマノ老人がつまづいてしまう。すると、老人は犬を打ち、ののしる。犬はおじけて、はいつくばい、ずるずると引きずられる。……」(p.21)

彼らは仲違いしていたようにかかれていたが、後に老人の犬が行方不明になると、

「彼は自分の扉をしめ、僕は彼の行ったりきたりする足音を聞いた。彼の寝台がきしった。仕切りごしに聞こえる、低い奇妙な物音で、彼の泣いているのが分かった。なぜか知らず、僕はママのことを考えた。だが明日は早く起きなければならない。腹も空かなかったので、僕は何も食べずに寝についた」

老人は犬のために泣いたのである。老人と犬の間には奇妙な愛が存在していたと考えられる。一方のムルソーは、母のことを思い出すも、すぐに床に就こうとした。いつもの生活に戻ろうとしているのである。(ムルソーは母のために泣いたことはない。)
結局老人は犬の死を受け入れていく。他方のムルソーは母の死を受け入れられない。同じ境遇にありながらも、対比的に描かれているのである。

サラマノ老人と犬の関係と同様に、レエモンとモール人の関係もずいぶん奇妙だ。「彼は女を血の出るほど殴り続けた」ような関係であるが、彼らにもおそらく愛情のようなものがあったのだろう。(カミュさんやばい)

(マソン夫妻は普通の関係なのでスルー)

さて、最後の小柄な青年と老婆の関係についてだが、

「僕の左にいた、ほっそりした手の、小柄の青年は、ひとことも言わなかった。気がつくと、彼は小さな老婆と向かい合い、二人とも異常な激しさで、互いに見つめ合っていた。(略)彼らは、相変わらず見つめあっていた。ただ一つの沈黙の小島をつくっていたのは、僕のわきの、互いに見つめあっているあの小柄な少年と老婆だった。息子が「さよなら、ママ」と言った。婆さんは、二つの格子のあいだに手を差し伸べて、息子にゆっくり長々と、小さな合図を送った」(p.48)

ムルソーと母親の関係はほとんど語られることはなかったが、p.8には、
「家にいたとき、ママはいつも黙って僕のすることを眼で追うだけだった。」とある。面会所の親子と関係性が似ているのだ。もしかしたらムルソーと母の関係は、青年と老婆の信頼関係へと変化しうるものだったのかもしれない。

最後に

全く書き終わっていないのだが、あんまりにも時間がかかるので、自分のペースでゆっくり追記していきたい。追記なんて待てねえよって人は、こちらの本を買ってどうぞ。『異邦人』も名著だがこちらも名著。

カミュ『異邦人』を読む: その謎と魅力  著:三野 博司

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