【読んでいない本について堂々と語る方法】のレビューをまとめてみた

為になる雑記

最初に

ピエール・バイヤール著、「読んでいない本について堂々と語る方法」。

アマゾンを回遊していた時にお勧めとして出てきたこの本の、なんともキャッチーなタイトルに惹かれ、ついついポチってしまった。

いや、そうではない。確かに私はこの本を見て興味は出たが、わざわざ金を払ってまでこの本の中身を知りたいまでは思わなかったろう。私がこの本を読んだ理由、それは読者が書き記す「レビュー」があまりにも魅力的だったからだ。

全くもって引き込まれるタイトルである。そして、ここまで堂々と言い切られてしまうと、本書の中身をきっちりと読みたくなってしまうのが、人の性であろう。ただし、この本はマニュアル本の類ではない。読書に関する常識を問い直し、新しい向き合い方を論じた一冊なのである。

https://www.amazon.co.jp/

タイトルにだまされてハウツー本のつもりで読んでみたら、強烈なカウンターを食らってぶちのめされる。非常に面白い本であった。

同上

タイトルだけ見るとふざけてるのかと思うが中身は緻密に構成された文化論
読書について新たな視点を与えてくれた。

このレビューから分かることは、この本が、タイトル、初動だけで本を買わせるような、最近流行のゴミ本ではなく、「読書とは?」というところから論じているということだ。

*ちなみに、このゴミがあふれて良い本に出会えなくなる現象はネットでも同じこと。検索汚染とも言う

確かに、読んでいない本について堂々と語る方法を論じるには、どこまでを「読んだ」とするのか、どこまでを「読んでいない」とするのかをしっかりと定義しなければならない。この本はこういう根本的なことから始めている点で、非常に論理的で、アカデミック。理系がいかにも喜びそうである。(実際喜んでた)

他にもこの本に対して多くのレビューが書かれている。例えばアマゾンのカスタマーレビュー、

37件のレビュー、評価は4.8。(異常に高い数値)そしてそれらの一つ一つが濃厚なのだ。まるで、各々がこの本について語らなければならないと思っているかのように。

他にも、新書ほどの薄さの本にしては、明らかにレビュー記事が多い。検索1ページ目はもちろんのこと、2、3ページ目にも、本気でこの本を考察しようとする熱意あふれた記事が並んでいる。理由はこの本の内容が深く関係しているのだが、これは訳者が後書きで詳しく書いている。

ひとつには、この本が誰もが参加出来る議論のフォーラムを開いたことが挙げられるだろう。じっさいインターネットでは書評やブログで本書についてのコメントが少なからず見られる。そして書き手はみんな饒舌である。本書が彼らのなかの何かに火を点けたようだ。本は読まないでもコメントできると説く本についてコメントすることをみんな楽しんでいるように見える。(中略)彼らが、バイヤールの本のなかに自分たちの行動の「理論的裏付け」を発見し、彼を「我らの理解者」と感じたとしても何の不思議もないのである。

ピエール・バイヤール著 大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』p.297

しかしながら、彼ら「饒舌な書き手」たちのコメントを、今のグーグルの検索方式では簡単に拾うことができない。ネットに住むものたちは検索1ページ目までしか目を向けることはない。そして、古い記事は自然と後ろに追いやられてしまう。

そうであれば、私がこれらを拾いあげ、彼らの情熱を世に送り出してやるべきではないか?こう考えたのである。

この記事の趣旨

この記事は、さまざまなレビュー、コメント、ブログ記事をそのリンクと共に紹介し、この「読んでいない本について堂々と語る方法」を各人がどのように語っているのかを見ていくことを目的にしている。

ブログ記事の紹介

ここからは実際にこの本について書いているブログを紹介していこう。ちなみにこの本のタイトルが「読んでいない本について堂々と語る」なので、元々読んでいないのにこの本について書いているブログがごまんとあり、それらは面白いものの、あまり参考にはならないだろう。よってブログ筆者がきちんと読んでいるだろうもののみを選抜している。(ちなみに私はちゃんと読んでおります)

レビュー紹介その1

シミルボン「読んでいない本について堂々と語る方法」

この記事は、「すご本」の中の人、Dainさん(申し訳ないが知らない人)が書かれた寄稿記事である。この記事を一番最初に紹介した理由は、この本について最も的を射たレビューをしているからだ。ちなみに3分ほどで読めるので、気軽に開いて見て欲しい。

レビューについては元記事を見て頂くとして、ここでは少し補足しよう。この記事の著者ー本の著者と混ざるのでここでは彼と呼ばせてもらうーは結局、「読んでいない本について堂々と語る方法」について、こう結論づけている。

すなわち、第一に、冒頭で作品を褒めることで、読み手の信頼感を抱かせろという。あとはひたすら一般的考察に逃げ、最後に次の記事で本に言及することを予告する。しかし、次の記事なるものがあらわれることがなく、その本を葬り去ることができるというのだ。

https://shimirubon.jp/columns/1675505

作品を褒めるというのはp.160に書かれていることで、後半の、「一般的考察」については、p.39-のヴァレリーの、読書に対する態度や、アナトール・フランス、ベルクソンへの批評から読み取ることが出来る。最後の、「次の記事で本に言及することを予告する……」というのは、p.212に書いていることだ。

さて、この結論の中で、私たちが役立てることが出来るのは、

  • 作品を褒める
  • 一般的考察に逃げる

の2つだと思われるので、この二つについて少し詳しく書こう。ちなみに後半の文章は、「読まずに本の批評を書く」時に役立つこととして書かれているのだが、職業人でも無い限り、読んでいない本の批評を投稿しなければならない瞬間などないだろうから、ここにはあまり触れない。

さて、p.160前後において展開されている場面は、その作品の作者の前で(読んでいない)作品を批評する、という最も難易度の高い状況である。あなたならどうやってこの状況を乗り切るだろうか?

この本の作者、ピエール・バイヤールは大学教授なので、しばしば同僚の教授が出版した本の批評を頼まれる。もちろん読んでいない。彼は乗り切り方をこう説明する。

したがって、読んでいない本について著者自身の前でコメントしなければならない状況にある人間に与えられるアドバイスはただひとつ、とにかく褒めること、そして細部には立ち入らないこと、これである。


ピエール・バイヤール著 大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』 p.160

この結論に至った論理の展開は、この本の全体から薄らと読み取ることが出来るが、簡単に説明する。(是非本を手に取って読んで頂きたいが)

作者目線で考えてみる。ある批評家が、作者の本を隅々まで読み、作品の細部までコメントしているとする。問題は、このコメントが、作者の本に含有した意図と完全に合致するのか、ということだ。

答えは否。本を読むという行為は、この本に書かれているように、字面そのままを受け取るのではない。読者が自分の体験と照らし合わせて自分の考えをより強固にしていくための手段、つまり、本そのものはどうでも良いのだ。

ということは、本を書いた作者と、自分の経験と結びつけた読者との溝は埋まることは決してない。よって、読者が深いところまで語ろうとすると、考えのずれが生じ、作者を不愉快にさせてしまうだろう。読者は本を表面的にべた褒めするくらいが、どちらも傷つけず、丁度いい、というわけである。

つまり、読んでいない本について語る方法とは言っても、読んだ本を語る方法にも通ずる理論なのだ。(ちなみにこれについては興味深い話を後述する)

この本の矛盾・パラドックス

少し遠回りしたが、この記事の目的は、レビュー記事を紹介すること。あまり深い内容について話すのはこれくらいにして、紹介記事についての話に戻ろう。

彼は他にも、読書論、読者論、書物論についての話を書いているが、ここはリンク先の記事に任せる。

私がこの記事で最も共感したのは、彼が、「最大のトラップ」と題した部分だ。

引用するには少々長いので、エッセンスをまとめると、

1、「読んでいない本を語る方法」をあらゆる本から引用して主張している


この本、実は引用が3割強以上占めるのではないか、というくらい色々な本の文章を借りてくる。ヴァレリー、プルースト、モンテーニュ、デイビット・ロッジ……明らかにこれらの本を丁寧に精読していなければ書けない内容なのだが、一方で、彼は、オスカーワイルドの「一冊の本を読むのに適した時間は10分である」*1を紹介している 。明らかに矛盾していないだろうか?

*1:p.247

2、「全体の見晴らし」の矛盾

著者は、一冊の本の細部まで読み込むのではなく、本と本の間の関係性、つまり筆者のいう「全体の見晴らし」を重視すべきだと説く。しかし、読んでいない本について語ることの出来るレベルの見晴らしを得るには、それ相応の本を読む必要があるのだ。

例えば、

私の記事の紹介になるが、カミュ『異邦人』について詳しく考察するのなら、サルトルの批評や、カミュ自身が書いた、実質的な『異邦人』の解説書である、『シーシュポスの神話』を読まなければならないだろう。

……(中略)やっぱり旧作や周辺を読まなければならない。「その書物を読まないために」きちんと読んでおくべき本が、必ず出てくるのだ。読書から得られる知見なり情報なり思考様式に裏付けられてこそ、「全体の中の関係性」をつかむことができるのだから。

https://shimirubon.jp/columns/1675505

記事を書いた彼が言うように、本を読まなくともコメント出来るようになるには、それ以上に本を読まないといけなかったり、さらに努力を必要とする。読まない為に、読む。やはりここも矛盾しているのだ。

3、本を読まなくて良いと説くが、それが本の体裁をしている

これは読んで字のごとくだろう。本を読むな、と言いたいのであれば、本という形を取るべきでは無いのだ。彼は記事の中で書いていないが、著者が本当は何を言いたいのか、詳しく考えて見るべきだろう。

ちなみに、この紹介した記事は、こちらのブログと同じ内容らしい。

「読んでいない本について堂々と語る方法」はすご本

しかし、最初に紹介した記事の方が読みやすいのでそちらを紹介した。

レビュー紹介その2

お次の記事は、

読んでいない本について「堂々と」語る方法
ピエール・バイヤールさんの、「読んでいない本について堂々と語る方法」を読みました。

分かったブログ様の記事だ。彼のレビューは、この本の第二の主張である、本と自分自身を結びつける、ということについて詳しく書いているので紹介した。

われわれが記憶に留めるのは、均質的な書物内容ではない。それはいくつもの部分的な読書から取ってきた、……さまざまな断片であり、しかもそれはわれわれの個人的な幻想によって歪められている。

ピエール・バイヤール著 大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』 p.100

本を読むということは、どういうことなのだろうか?この作品は左の命題に対して答えを与えた。

人は読んだ本の一語一句について覚えていないのである。人は、自分の経験、人格、思想(内なる書物、内なるパラダイムp.140)に基づいて、読んだ本の内容を好き勝手に改変する。

例えば、この本を、

「パラドックスの塊」と解釈する人もいれば、「自分の主張を裏付けるものだ」と取る人もいる。この本を「読まずにレビューせよ」、という筆者からの挑戦だと受け取る人もいる。

われわれがすでに読んだ本と考えているものは、たとえそれが物質的にはわれわれが手に取った本と同じであるにしても、われわれの想像界によって改変された、他人の本とは関係のない、雑多なテクスト断片の集合にすぎない。

ピエール・バイヤール著 大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』 p.140

この主張を理解すると、バイヤールの言いたかったことが少し分かってくるようになる。彼が「本を読む必要はない」と説くのは、読書において、(引用に続く)

重要なのは書物についてではなく自分自身について語ること、あるいは書物を通じて自分自身について語ることである

ピエール・バイヤール著 大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』 p.264

本を読む行為そのものが主体なのではなく、本を読むことは、自分の思想、主張をより強固にすることが目的なのだ。そうであれば、自分の主張を裏付けるような言説を一つ見つけるだけで十分なのだ。(今私がしていることは、自分の考えに合う本の一説を取り出していること)

その作業は、私には到底不可能だが、読書家であり博識家であるオスカーワイルドにとっては、10分程度しか必要としないのかもしれない。

(ちなみに引用部分は先の記事が本から引用した部分と一切かぶらせていないので、安心して紹介した記事を見ていって欲しい。)

さて、記事の紹介だが、この記事の素晴らしい点は、自分の主張と合致する部分を如何にして見つけ、記録するかを丁寧に語っていることである。この本を土台にして自分の考えを表明するという点でも、筆者の意図に沿っているし、自分自身について語る為の具体的方法にまで落とし込んだことが評価出来る。

ちなみに先の記事に書かれていることは、読書感想文、評論、書評ブログ作成など、何にでも応用できることだと思う。該当部分を引用する。

私の本の読み方は、まず、気になる部分・自分の考えとマッチする部分に付箋をつけながら最後まで読みます。次に、付箋の部分だけを復読します。そして、その中でも特に気になる部分に違う色の付箋を貼っておきます。書評は最後につけた付箋の部分をメインに書きます。せっかく全部読んでも、書評の題材になる部分は、数箇所に絞られてしまうのです。

http://www.wakatta-blog.com/post_592.html

簡単なように見えて簡単だ()。だが、本を読む際に漠然と読んでいる人が多いのではないだろうか。この本の著者、そして先哲が示すように、本を読むということは、自分の主張に足りないパズルピースを補っていくこと。よって、私や分かったブログ様のように批評を書かない方も、こういう積極的な読み方をしてみてはどうだろうか。

ちなみに私が本を最初に読むときは適当に読みます。そして批評を書くときに“気合い”で自分の言いたいことが書いてある箇所を見つけます(笑)。

さらにこの記事では、本当に読んでいない本を語ることは出来るのかについて検討しているが、ここでは触れない。リンク先で見て欲しい。

レビュー紹介その3、4

次に紹介する記事はこの2つ。

第470歩『読んでいない本について堂々と語る方法』

大嶋友秀という方の本を紹介するブログだ。(ちなみにこの方を私は知らない)

『読んでいない本について堂々と語る方法』の感想

こちらはリーブスさん(知らない方です)のブログ記事。

一緒に紹介したのは、どちらも面白い例えを用いて、この本を紹介し、思ったことを述べているからである。

この本に対する多くの批評記事、ブログが本の内容の解釈のみ(そして残念ながらあまり深くは触れていないように感じる)に徹していることとは対照的に、本の内容を自分の言葉で咀嚼し、興味深い例を提示していることから紹介すべきだと感じた。

各々の文章を是非リンク先で見て欲しい。

終わりに

結局4つほどレビュー記事を紹介したが、どれも異なる視点からこの本を眺めていて、まとめていた私としても面白かった。しかし、こうして意見を読んでいるうちに、私しか気付いていない事柄が存在するということを知ってしまった。いずれ、私個人のこの本に対する批評を書くつもりである。お楽しみに。

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