速読はやめておいた方が良いんじゃないかという話

為になる雑記

はじめに

私は生まれてこの方、速読しかしてこなかった。

100万字を一日で読破したこともあった。数冊を一日で読み、ある分野の情報をインプットするのは私の十八番だ。これは速読していなければ出来ないことだと断言出来る。

しかし、ふと思い立って、速読には大きな弊害があるのではないかと思い立ち、速読について色々調べてみたのだが、どうも「速読界隈」はきな臭いのである。

まず、速読についてはブロガーの食指が動かないようで、オピニオン記事が少ない。

そして、「速読」とググって出てくるのは「速読CD」やら「速読教室」やらを勧める広告記事。そしてとある海外の論文を主軸とした速読批判。これらが混在しているのだ。

「眼球トレーニング」に効果はないことが判明!なんて記事の上に、眼球トレーニングやらフォトリーディング等をパッケージとする速読教室の記事が出るのは、どうも不思議なのである。

おそらく「速読」で調べる読み手に必要なのは、「正しい情報」であり、速読を手放しに賞賛する論理性の欠片もない誘導記事ではない。

しかし、同時に、読者は悩んでいる。「本が早く読めればなあ」と苦悩し、速読の門を叩いたのだろう。だからこそ、私は彼らの悩みの解決したい。

この記事で目指すのは、「正確性」「論理性」そして「悩みを解決する具体的なアドバイス」の3つである。

速読とは?

まず一番大事なことを先に整理しておこう。

「速読とは何か?」ということ。

「そりゃ言葉通り、早く読むことじゃないのかい?」とスルーされてきたのかもしれない。実際、速読の定義をしっかり付けているサイトは少なかった。

しかし速読を分類せよと言われたら、速読が一枚岩ではないことが容易に分かる。

例えば、

  • 重要な情報だけを拾い、細部は飛ばすことで早く読む方法
  • そもそも目で文字を追う速度を速めることで早く読む方法
  • 文字を文字として認識するのではなく、「写真」や「絵」のような風景の切り抜きとしてページごとインプットしてしまう方法(フォトリーディングと呼ばれるやつ)

他にもゲテモノがあるかもしれない。

とりあえずこの3つ、「飛ばし読み」「早く読む」「フォトリーディング」を速読と定義することにしよう。

事前に断っておくが、私の読み方は一番上の「飛ばし読み」だ。

目に入る情報と理解の関係

さて、ここで少し話を変えて、抽象的な話をしよう。

左の図は、本を読んでいる時の目に入ってくる情報(つまり文字)と、理解の関係を示している。

ここで言いたいことは、目に入ってきた情報を全て、理解することは出来ないということ。つまり人は本を読む際、取捨選択して読んでいるということだ。これには同意できるはずだ。

さて、本を早く読もうとすると、下の図のように、目に入る情報が増えることになる。

ただこれは、「より早く文字をなぞっている」だけで、理解が追いついていない。

むしろ、全体的な読書の質が下がり、理解量は下がっていくのである。

このジレンマを解決するために生まれたのが、「飛ばし読み」である。必要のない情報は無視し、重要なところを読む。目に入れる情報を減らすのである。

こうすることで、早く読めることはもちろん、理解量を増やす必要もなくなる。

目に入る情報「だけ」を増やすと、理解が追いつかないと書いた。しかし、理解量を増やせば問題なし、この方法で速読は可能だ。

この方法を採るのが、「早く読む」と「フォトリーディング」だ。

問題は、理解量はどれだけ増やせるのか?である。

むしろ増やせるかどうかすら怪しい。

次はこの点を考えてみよう。

人の理解はどれだけ増やせるか

さて、この問題を考える上で「理解」について煮詰めなければならないだろう。

理解している、とはどういうことだろうか。もし分からないことがあり、そのまま無視して先へ進んだとしたら、理解出来たとは言えない。しかし、過去に聞いたことがあったり、本で読んだことがあった事柄は、何もしなくてもすでに「理解している」。

つまり、理解とは、

  • 元々知っていた知識を見た
  • 知らなかったが、読んで覚えた

時に起きる現象なのである。

前者は簡単で、読んだときに「ああ、知っているな」とか、「ああ、これは意味分かるな」と捉えるだけで良い。(下の矢印の判断)

人が情報を処理出来る量の限界は明確に数値化されていない。

後者は無限ではない。「記憶」を必要とするからである。

知らなかった事実は、一度短期記憶に送られる。その数は一度に7±2つ(5~9)が限界で、その記憶は数十秒程度、保存される。

短期記憶
 保持期間が数十秒程度の記憶である。保持時間だけではなく、一度に保持される情報の容量の大きさにも限界があることが特徴とされる。


https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E

(ちなみに4±1という説もある。さらにまとめて一つとするよりも塊で覚えると覚えやすいなど色々興味深い)

「早く読む」のであれば、取捨選択は可能……かもしれない。人がどれだけ情報を処理出来るのかは分からないが、知っていることを捨てて、知らないことをインプットする一連の動作を挟む余地がある。

だが、本を絵のように覚えてしまう「フォトリーディング」ではそうはいかない。

そもそも「文字を文字として認識する」という段階にないのだから。

知っているか知らないかなどを判断する前に覚えてしまえ!という荒技は短期記憶に限界があるということを知って入れば効率悪いことこの上ない。

覚える必要のないものは覚えない。当然のことであろう。

この点でフォトリーディングはやめるべきだと結論づけられるだろう。

飛ばし読みVS早く読む

飛ばし読みと早読みの最大の違いは、「選択数」にある。「自己決定権」の有無と言い換えても良い。

早読みについて調べたところ、基本的に飛ばし読みはしないらしい。全てを読んで全てを「理解」する。そのために、

「眼球を鍛えてみたり」、「塊で読んでみたり」するらしいのである。

実際に効果があるかはさておき、読み手は全ての情報を処理する必要がある。情報をチャンク、塊化させてもそれは同じこと。

対する飛ばし読みは、ある文章が自分にとって「必要か」、「必要でないか」を判断する前に、そもそも読むことすらしない。自分の脳で判断していないという意味で、「自己決定権がない」のである。

さて、人が全てを選択出来ることが果たして正しいのだろうか?

The Paradox of Choice(選択のパラドックス)

答えは選択のパラドックスにある。リンク先はTEDトーク。

心理学者バリー・シュワルツによると、現代社会の選択権の増加、自己決定権の増加は、「自由度」の増加をもたらし、繁栄へとつながるかと思われていたが、実際には、人々を不幸にしているという。

読み方に当てはめると、早読みで全ての情報を分析することは、人には負担にしかならないということだ。(強引)

むしろ飛ばし読みは、飛ばした部分が重要か重要でないか分からないという点で読者は幸せに生きられる。

完全な出来レースではあるが、私の結論は、

速読をするなら「飛ばし読み」が一番!

ということ。

速読歴数十年の私からのアドバイスとしては、

飛ばし読みをマスターするのに「速読教室」や、「速読CD」を買うのは馬鹿らしいだろう。

理解出来なければ「そもそもここは読まなかった」とすれば良い。

精神的に楽。

さらに、

勉強せよ

と言いたい。理解とは、

  • 元々知っていた知識を再確認する
  • 知らなかったが、読んで覚える

の2通りだと書いた。つまり読んだ部分が前者ばかりであれば、本を読むスピードが上がる。

さっさと本を読み切りたいと願うなら、事前に知識をインプットしておくのがベスト。

例えば、先程引用した「選択のパラドックス」を理解する前に、アマゾンで書籍のレビューを見ておけば、理解のハードルが下がるだろう。これが勉強である。

速読をやめておいた方が良い理由

さて、ここからが本題。

私が速読を続けて後悔したことについて。

それは、

アウトプットが出来なくなる

ってこと。

飛ばし読みは細部を読まない。つまり、小説で言うところの情景描写は無視、論文なら序論と結論しか読まない。

これを続けるとどうなるか、

文章が書けなくなる

これを読んでいる方は、「私がこの文章をすらすらと書いている」と思っているだろうか?

否。すでに下書きが2つ没になっている。

文章が書けないだけでなく、もれなく人に説明出来なくなるというオマケ付き。ヤッタネ

人のブログの批判をするようで申し訳ないのだが、

速読教室で速読を習得した私が、速読のメリット・デメリットを解説!|ブログ(仮)
本をパラパラめくるだけで本の内容が頭に入ってくるという速読。本を速く読める以外にどんなメリット・デメリットがあるのか気になりますよね。 そこで私の出番です。 この記事では、速読を習得した私が速読をやってみて初めて分かった

こちらのブログは、

「速読教室で速読を習得した私が、速読のメリット・デメリットを解説!」

と題して、速読のメリットデメリットを羅列されている。

このブログによると、速読のメリットは、

  • 知識が増える
  • 時間を有効活用できる
  • 想像力が豊かになる

デメリットは、

  • 頭が疲れる
  • 収納に困る
  • お金がかかる

それ速読関係ねえだろ

彼がこのような記事を書いた原因は全て速読にある。

速読すると、単語単語で記憶する癖が出来るので、情報の論理的、因果的つながりを無視するようになる。

その結果、速読と関係ないんじゃないかというものでさえ、メリットデメリットに「書けてしまう」のだ。

下の画像は、こちらのサイトからお借りしたものだ。

読書速度が速い人も遅い人も文章の上から下までなめ回すように見ていると勘違いしているが、実際には、

読書速度が速い人の目線の移動は左右に大きく振れていないのである。

*上の画像はこちらから。

(上下、左右の違いがあるとは言え、上のイメージのように目線が移動するとは思えない)

このような簡単なイメージ画像で人をだまそうとするのも彼が速読をしているが故だ。

早く読むということは一つの情報に割く時間、脳内リソース、記憶的つながりが希薄になる。

つまり彼がこのような画像で人を騙せると信じている所以は、彼の「速読を続けていたが故の」知識の軽薄さにある。

もしくはあのような記事を書いた彼も「信じ込んでいる」のかもしれない。それはやはり速読が悪い。知識を次から次へと覚えるだけで、真偽を確認する作業を怠ったのだ。

……

…………

それ速読関係ねえだろ

以上です。

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